野麦峠に行ってきました。
明治大正と養蚕業が盛んな頃、飛騨から幼い少女たちが野麦峠をこえて
諏訪周辺の工場へ労働に出かけていきました。
養蚕業で働く工女の姿は、ああ野麦峠という大竹しのぶ主演の映画にも
なっています。ご覧になり涙した方も多いのではないでしょうか。
野麦街道の最大の難所は野麦峠で、ここにはお助け小屋があります。
冬季は通行止めですが、4月末頃から開通します。
ああ野麦峠の政井みねを想いながら、野麦峠に足を運んでみませんか。
今回、野麦峠について書いてみました。
・野麦峠のお助け小屋を見に行こう
・女工哀史 ああ野麦峠
・野麦峠周辺の観光スポット
野麦峠のお助け小屋を見に行こう
野麦峠は、岐阜県高山市と長野県松本市の県境に位置する峠です。
標高1672m。
冬季は閉鎖されていて4月末から開通しますので、ゴールデンウィークや
夏、又は秋の紅葉時期に訪れると良いと思います。
標高が高いので、5月はまだ雪が残っています。
約1700mの標高ですので、寒さ対策は必要です。
上に羽織るものをもって行くといいですね。
木曽福島または高山から行くか、松本方面がら行く事になりますが、
山道なので、道幅は狭くカーブも多いのでスピードを落としての運転に
なります。
昔は、10代の娘たちがこんな山の中を歩いて信州に向かっていったと
思うと心が痛んできます。
狭くくねくねとした道をどんどん進んでいくとお助け小屋が見えてきます。
ああ飛騨が見える、と記された
政井辰次郎に背負われたみねの像があります。
お助け小屋では、軽い食事ができます。
そば、うどんがあり、天ぷらそばを注文しました。
外は寒く、温かい蕎麦で暖まりました。
壁には、ああ野麦峠の写真がありました。
みね役の大竹しのぶです。
政井みねの写真です。
女工哀史 ああ野麦峠
1979年制作の映画 ああ野麦峠、主演 大竹しのぶ
けなげな純朴な少女、政井みねを大竹しのぶが好演しています。
泣けてしまいます。
「ああ野麦峠」
山本茂美のルポルタージュで、
明治時代から大正にかけて養蚕業が日本を支えていた時代のノンフィクションです。
諏訪地方には製紙工場が集中しており、山深い飛騨の山中から集められた少女が
労働に従事してました。政井みねもその一人です。
労働は過酷で、結核などの病気人かかったり自ら命をたつものもいました。
政井みね(20歳)も病気になり、兄の辰二郎(31歳)が引き取りにきました。
病気のみねを背板にのせて野麦峠の上まで担ぎ上げてきました。
しかし、野麦峠頂上で「アー飛騨が見える、飛騨が見える」と故郷を前に喜んだと思ったら
力なく崩れおちました。
「みね、どうした、しっかりしろ」、辰次郎が驚いて抱きおこした時はすでにこと
切れていました。
野麦峠周辺の観光スポット
野麦峠の近くの観光スポットとなると、
おすすめは、
高山市の古い街並みはどうですか。
松本方面なら、奈良井宿があります。
最後に
野麦峠は静かなところで、お助け小屋があるだけです。
ああ野麦峠の女工哀史を想いながら、一度訪れてください。